内向型が共感する有名人 村上 春樹

村上春樹

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949 - 20**
少なくとも最後まで歩かなかった

今回は日本のみならず海外でも有名な作家、村上春樹さんを紹介したいと思います。
既に多くの場所で彼のことは語られていると思いますが、このブログならではの見方でお話できればと思います。

彼との接点

私が村上春樹の作品に初めて出会ったのは、中学生くらいの頃で「ノルウェイの森」でした。この本は爆発的に売れていて(現在まで本の発行部数歴代1位 約1000万部)、本屋の目立つ場所に置かれていたのを、おそらく手に取ったのだと思います。ただ子供だった私には、内容がいまいち理解できずに途中で読むのを辞めてしまいました・・・彼の本を再び手に取るのは、十数年後の大人になってからです。

唯一無二の世界観を持つ彼の小説、いまでは大好きです。ただ今回取り上げたいのは、彼の自伝・エッセイ、この2冊です。

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内向型の自分にとって、この2冊は宝物と言ってもいいくらい、繰り返し何度も読んでいる大切な本です。ここで語られている彼の言葉一つ一つが、刺さるというか、渇いた喉を潤すように、胸にすーっと染み入るような感触です。

本の中で彼は自分のことを、内気、非社交的、チーム競技に向いていない、などという言葉で表現していて、明確に「内向型」という言葉は使っていません。ただおそらくは「内向型」であるという自覚、似たような捉え方をしているはず、と私は思っています。だから私は彼の言葉を見ていると、まるで自分について書かれているような、そんな錯覚に陥ることがしばしばあるのです。

また走ることについて、個人競技であること、瞬発力を必要としない長距離であることが自分に合っていると言っています。習慣化して心身を健康に維持することが、小説に良い影響を与えているとも。自分も毎日ではないですが定期的に走っているので、彼の言っていることにとても共感できます。

走り始めるまで足が重い。走ってからも苦しい。ただ時折さわやかな風が吹いて息を吹き返す。苦しさの中に少しの爽快感を織り交ぜながら、誰にもおもねる必要なく、自分のペースでただ黙々と走る・・・走り切った後の達成感と充実感、何事にも代えがたい。そしてまた走る。また、また・・・そうして続けていく内に、自分の中で何かが変わっている。少しずつ、ただ確かに。

死ぬまで内向型

僕はどちらかというと一人でいることを好む性格である。いや、もう少し正確に表現するなら、一人でいることをそれほど苦痛としない性格である。毎日一時間か二時間、誰とも口をきかずに一人きりで走っていても、四時間か五時間一人で机に向かって、黙々と文章を書いていても、とくにつらいとも、退屈だとも思わない。

そういう傾向は若いときから一貫して僕の中にあった。誰かと一緒に何かをするよりは、一人で黙って本を読んだり、集中して音楽を聴いてたりする方が好きだった。一人でやることならいくらでも思いつけた。
~走ることについて語るときに僕の語ること~

どうでしょうか? あなたが内向型ならきっと大きく共感することでしょう。私も一人でいる時といない時を比較すると、やっぱり一人でいる時の方が伸び伸びとしている印象があります。こうして文章を書いたり、本を読んだり、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、工作したり、退屈することは全く無い。むしろ少し心配になるくらい自己完結してしまう性格です・・・(自分にも家族がいて、物理的に完全に一人という訳ではないですが、まぁ家族は自分と同じようなものだと思っているので)

こうした性格や気質について、後天的にある程度は変えられると思いますが、根っこの部分は大人になっても変わらない、きっと死ぬまで変わらないでしょう。村上春樹は「ネイチャー」という言葉でそれを表現しています。

孤独だからこそ

孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くというのは-とくに長い小説を書いている場合にはー実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。

その結果として生み出された作品が誰かに褒められるということはありますが(もちろんうまくいけばですが)、それを書いている作業そのものについて、人は特に評価してくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わなくてはならない荷物です。
~職業としての小説家~

世界的な作家である彼と同じ土俵で語るのは心苦しいですが、私もいちおう趣味で文章を書く人間としてこの気持ちがよく分かります。まず孤独な作業であることは誰が見ても明らかだと思います。ただこれは特に小説に限った話ではなく、本を読んだり、音楽を聴いたり、勉強をしたり・・・これらも基本的には孤独な作業、行為です。

ここで特に注目したいのが「ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります」の箇所です。文章や音楽、絵、プログラムなどの創作、クリエイティブと呼ばれる行為をしている人は、共感してくれると思いますが、何かをゼロから生み出す時、これに似た感覚から始まる人が多いのではないでしょうか?

自分の脳内、深い井戸の奥深くに潜っていく(そう言えば「ねじまき鳥クロニクル」に似たようなシーンありましたね)。深くて暗い底にぽつんと一人。辺りにアイデアがないかを探してみる。最初は怖くて苦しくもありますが、ここからアイデアを持って浮上していき具体的な形として、自分そのものを表現する。これが創作の醍醐味なんだと私は思っています。そしてこれらの過程は、自分の身を孤独な環境に置かずには、できないことであると信じています。

深い井戸

文章を書くように走り、走るように生きる

小説を書くというのは、とにかく実に効率の悪い作業なのです。それは「たとえば」を繰り返す作業です。一つの個人的なテーマがここにあります。小説家はそれを別の文脈に置き換えます。「それはね、たとえばこういうことなんですよ」という話をします。

ところがその置き換え(パラフレーズ)の中に不明瞭なところ、ファジーな部分があれば、またそれについて [・・・] 限りのないパラフレーズの連鎖です。開けても開けても、中からより小さな人形が出てくるロシアの人形みたいなものです。
~職業としての小説家~

今回紹介した2冊、「職業としての小説家」では自分の仕事について、「走ることについて語るときに僕の語ること」では仕事以外の日常の習慣について語っています。この2冊を合わせると、彼の人生そのものが浮かび上がってくるように私は感じました。「小説を書くこと」「走ること」「生きること」これらは、彼の中で分かち難く結びついていて、どれか一つでもおろそかにしたり、やめてしまうことは許されない。それが冒頭で引用した墓碑銘の言葉となって表れてきたのだと。

本の中で、彼が印象的に使っていた言葉として、パラフレーズ(置き換え)、そしてメタファー(比喩)がありました。似たような言葉ですが、簡単に言うと自分の思いを直接的な言い方だけで説明せずに、表現を変えて伝えることだと理解しています。2冊を読んで感じたことを、私なりにこの表現で凝縮して、今回の記事を終えたいと思います。

人生は、果ての見えないマラソンであり、同時に書きかけの長編小説だ。
どちらも孤独で気の遠くなるような作業だが、自分のペースで淡々と、足を前に運び続けるしかない。
いつかゴールするその日まで。

墓銘碑
ABOUT US
おつう / O'tu
こんにちは。40代、ITエンジニア、既婚者です。
性格は自他ともに認める強めの内向型で、この年になってようやく、 この性格と上手くやっていけるような気がしてきました。
きっと同じ悩みを抱えている大勢の人たちが、私のような苦労をせずに、 少しでも早く自分の持ち味に気付いてもらえたら。 そのために私の経験が少しでも役に立てば。そんな想いでブログをやってます!