『論語』~学校の国語で“漢文”が嫌いになった人へ

論語

今回は学校の国語の授業で習ったであろう漢文、その中で『論語』についてお話します。
自分が小学生の時、ほとんど意味が分かっていませんでしたが、中年になったいま改めてこの論語を見返してみると、なんと深い・・・考えるより先にぼーっとするくらいに・・・

現在の日本で当たり前のように根付いている言葉

論語で有名な一節を紹介します。
日本人の私達には、当たり前なくらい根付いている考え方が多いので、普段は意識すること自体あまりないかもしれません。この機会に改めていくつか見てみましょう。

故きを温(たず)ねて新しきを知る
――過去を学ぶことで、新しい発見がある

おのれの欲せざるところ、人に施すことなかれ
――自分がされて嫌なことは、他人にしないように

過ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)う
――間違うこと自体ではなく、改めないことこそが真の過ちである

これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず
――何かを知っている人よりも、それを好きでいる人、さらに楽しんでいる人には及ばない

学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。 朋(とも)あり、遠方より来たる、また楽しからずや。 人知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや。
――学び、繰り返し身につけていくことは、なんと喜ばしいことか。
志を同じくする友人が、遠くから訪ねてくるのは、なんと楽しいことか。
自分の努力や価値を人が理解してくれなくても腹を立てない、これこそ君子ではないか。

論語との出会い

学生だった時、国語で漢文の授業はありましたか? 好きでしたか?

私自身は学生時代は文系でしたが、漢文の授業は好きではない、もっと言うとかなり嫌いでした😅 なぜなら元は日本語ではない中国語、さらに数千年前の古い文章を読んで、勉強する意味が分からなかったので。読み方も日本語で読むために、暗号みたいなルールを覚えなくちゃいけなくて。とても好きになれなかった・・・これを読んで共感してくれる人、きっといるはず😌

学生時代の自分は、そのまま漢文の授業を毛嫌いしたまま過ごし、卒業してようやく漢文を勉強しなくていいと思った時は嬉しかったこと、何となく覚えています。そうして、漢文の存在を忘れて10年以上の月日が経ち、本屋をうろついていた時、ふと目に入った論語の本。何の気なしに手に取って読んでみるとこれが面白い ――― 現代語に訳されていたので読みやすいというのはもちろんあったのですが、受ける印象が前とは大分違ったんです。子供の頃には感じられなかった内容の奥深さが、すーっと染み入るように理解できたんです。これが大人になって成長したということなんですね、きっと✨

その後、昔の中国の古典『菜根譚』や、日本の古典『万葉集』『枕草子』なんかも読み始めて、やっぱり面白いんですよ、これが。。。今になって切に思うのは、年端のいかない人生経験が乏しい子どもたちには、『論語』などの古典に込められた意味を理解し味わうのは難しい、というか無理だということです。なぜなら実感を伴って考えることができないから。

なので目的や効果をあまり考えず、従来通りの形で学校の授業をやっても、子どもたちには届かない。子どもたちはテストで良い点をとるために、表面的な読み方を覚えるだけ。テストが終わったら忘れてしまって何も残らない。せっかく時間をかけて勉強したのにも関わらず。学生時代を振り返ってもらったら、おそらく大多数の人に当てはまることではないでしょうか。

大人になった今の私は、教える側の立場も何となく分かるので、一方的に批判はできません。ただ教育については、何のためにやるのか? 何が得られるのか? やり方はどうするか? 時代に合っているか? など、常に考え直さなければいけないですね・・・

ちなみに私が大人になって読んでいた本は全て現代語訳です。例えば漢文の書き下し文とか(中国語を日本語の語順に並べ替え、ひらがなを補う)今でもちゃんとできる気がしない・・・😵

書き下し文

論語 ⊂ 儒教 ⊂ 孔子

ここからは論語そのものについて解説します。
論語は、古代中国の孔子という人の言葉を、弟子たちがまとめたものと言われています。数千年前の実在した人の言葉が、異国(日本、韓国など東アジア一帯)に今も特大の影響を与え続けている訳です。素直に驚きますよね。ということで、そうなるまでの歴史を少し辿ってみましょう ―――

  • 孔子と論語の誕生(紀元前6〜5世紀 中国 春秋時代)
    孔子は今から2000年以上前の思想家。当時は争いが絶えない乱れた世の中だったが、「徳による政治(徳治主義)」を説いた人。武力や法律ではなく、人の心と道徳によって社会を治めることを掲げた。中心理念は、「仁(思いやり)」「礼(秩序・礼節)」「中庸(偏らない生き方)」

    孔子の弟子たちが、師匠の言行をまとめたものが『論語』。さらに孔子の思想を、弟子の曾子、孟子、荀子などが発展させ体系化して生まれたのが『儒教』
  • 日本での起こり(4~11世紀 日本 古墳~平安時代)
    4世紀ごろ中国から朝鮮を通じて『論語』が日本に伝わる。飛鳥時代、日本の偉人である聖徳太子は「十七条憲法」に儒教的倫理を採用し、“和を以て貴しと為す”がこの時に生まれた。『儒教』は法律や教育などにも影響し、当時の貴族の教養として欠かせないものに。和歌や文学にも「礼」や「徳」の価値観が色濃く反映される。
  • 禅と武士道(12~16世紀 鎌倉~安土桃山時代)
    武士の時代が始まり、精神の支えとして禅が広まる。禅は無心・克己・静寂を重んじ、儒教の思想とよく調和した。やがて忠義・誠・節操といった儒教の徳目が禅の精神と結びつき、武士の生き方の根幹を形づくっていった(後の武士道へとつながる)
  • 儒教の黄金期(17~19世紀 江戸時代)
    徳川幕府が儒教の一派「朱子学」を官学として採用。「忠」や「孝」といった上下秩序が社会の基本倫理となった。別の一派「陽明学」も起こり、日本全国に広がっていく。当時の学校である寺子屋では『論語』の素読が一般的に。またこの時代に発表された長編伝奇小説『南総里見八犬伝』は、主人公の八犬士が儒教の八徳を象徴している(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)。こうして庶民の心にも儒教は浸透していった。
  • 国家の道徳に(19~20世紀 明治時代)
    明治維新で西洋化が急速に進む世の中で、福沢諭吉・西周らは儒教の精神を時代に合わせて再定義する。さらに日本の資本主義の父である渋沢栄一は、著書『論語と算盤』の中で経済活動と儒教的道徳の両立を説いた(正しい道で利益を得よ)。なお1890年に明治天皇が、近代日本の教育の基本方針として示した「教育勅語」も儒教的考えが中心となっている(父母に孝に、兄弟に友に、・・・)

そして現代。戦後の教育で、儒教的価値観は一時否定されるが、「礼儀」「親孝行」「勤勉」「忍耐」などの形で残り続け、現在に至る。

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人生訓

最後に、私が論語の中で、特に好きな一節を紹介します。

子曰く、吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)う。
七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を踰(こ)えず。

孔子は言った。
十五歳の時、学問の道を志した。
三十歳で、学問の基礎ができて、精神的に自立した。
四十歳で、世の道理が明らかになって、迷うことがなくなった。
五十歳で、天から与えられた自分が果たすべき使命を自覚した。
六十歳で、人の意見を素直に聞いて、受け入れられるようになった。
七十歳で、心のままに行動しても、道を踏み外すことがなくなった。

深い・・・私はこの一節を見ると毎回感動して震えます。人生の節目節目で抱いた想いを簡潔・的確に表現したこの一節。私の年齢は中間地点の「四十にして惑わず」。正直、四十歳を過ぎても迷いは多く、この境地には至っていません。ただそれでも二十代、三十代の若い頃に比べれば、腹が据わってきたというか、人生における自分の信念のようなものも芽生えてきたりして。この先どうなるのか、この一節のような道のりに少しでも近づけるのか、自分でもちょっと楽しみです😌

今回の記事は以上です。
これを読んでくれているあなた、もし学校の授業で漢文などの古典を毛嫌いしたままになっていたとしたら、少しもったいない。大人になった今なら新たな発見があるかも。ぜひチャレンジしてみてください!

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おつう / O'tu
こんにちは。40代、ITエンジニア、既婚者です。

性格は自他ともに認める強めの内向型で、この年になってようやく、自分の性格と上手くやっていけるようになりました。

きっと同じ悩みを抱えている大勢の人たちが、私のような苦労をせずに、自分の持ち味に気付いてもらえたら。そのために私の経験が少しでも役に立てば。そんな想いでブログをやってます!