あの興奮をもう一度!
だけど今回は地上波で見られないので残念、どうしようかと思っていたら、
もっと残念なことが起こってしまいました。
アメリカのイランへの攻撃
ビールを飲みながら呑気に試合を観戦していた時に、突然 大雨が降ってきたような感覚。
この事態をどう直視すればいいのか? 逃げずに考えました。
※繊細な内容なので、攻撃の是非や背景などについてはできる限り避け、私個人が受けた印象を中心に書いています。
2001年以来の感覚
3年ぶりの野球の国際大会、WBC。前回は大谷選手らの大活躍で日本が見事に優勝しました。私もテレビを前に手に汗握って見てました。しびれましたね~ ⚾ きっと多くの人が私と同じように感じ、今回もあの興奮をもう一度味わいたいと、楽しみに待っていたのではないでしょうか。

日本のテレビ、新聞、ネットなどの各メディアは、大会を盛り上げようと連日に渡って多くの時間を割き、放送していました。自分の興奮のボルテージも、日ごとに上がっていくのを実感していたところです。そう思っていた矢先、突然飛び込んできたイラン攻撃のニュース。
WBCと悲劇、完全な陽と陰。
まず感じたこのギャップに、私は気圧されてしまいました。
この感覚は、2001年のアメリカ同時多発テロで感じた以来。学生だった自分が部屋で一人、バラエティ番組を見て楽しんでいた時。突然画面が切り替わり、高層ビルに飛行機が突っ込むシーンが映像で流れ、何のことかさっぱり分からず混乱したあの時の自分。ボジティブと、ネガティブが奇妙に混ざり合い、頭がくらくらするような感覚・・・
後日アメリカとイランで協議が予定されていた中での今回の出来事。ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ、こちらも驚きましたが、善悪は別として起こってしまった背景を一応の理解はできました。しかし今回のアメリカによる攻撃は、なぜ?ここまでやる? 頭がさらに混乱している状況です。

現実感がない
最近までテレビで、WBCに出る選手の様子やチームの練習試合の状況を見ていたと思ったら、イランの最高指導者や要人、民間人が殺害されたという報道。この振れ幅の大きさに私は揺さぶられました。テレビで交互に見る野球の試合とイランの攻撃。感情の急激な変化に対して、脳が無意識に防御反応を示すのか、いつの間にかぼーっとしてしまう自分。あくまでも遠くの世界の出来事だと、他人事のように傍観する自分。現実感がない。
現実感がない理由として、アメリカ人(主にトランプ大統領)の言動と、日本人の自分との違いの大きさもあるかもしれません。相手といくら仲が悪いからと言って(日本にとっての北朝鮮のような存在?)、よその国であるイランを攻撃し正当性を得ようとしているアメリカは、日本人の自分からは到底想像できない。理解の枠を超えているからです(是非は別として)
自分が典型的な日本人かは分かりませんが、争いごとは極力避けて、周りとはできる限り穏便に済ませたい性分。例え自分の意見や正義があっても、相手と関係がこじれるくらいだったら、何も言わずに飲み込んでしまうこともある自分。私の場合は内向型なのでさらに・・・
ただ、他国への攻撃は国家としての判断。なので普通のアメリカ人が今回のことをどう考えているのか、メディアを通して見る言葉が多数派の声なのか。はたまた他の国の人たちはどう思っているのか、気になるところです。
地球規模のリモコン争い
話は変わりますが、
今回のWBCは見ますか?
自分は迷ってます。。。お金がかかるというのがやっぱりハードルがあって。。。
日本のテレビ放送は知っての通り、テレビ局が企業からの広告で収益を上げる仕組みで、視聴者は無料で見られるというのが当たり前になっています。なので前回は無料で見ていたWBCが、今回はNetflixに加入して見なければならない。これが実際の金額以上に、心理的に高い壁となっています。アメリカやヨーロッパでは、有料が基本のようですが(特にスポーツ)
そもそもなぜ今回は日本のテレビで見られないのか? 多くの記事で報じられていますがNetflixの資金力、これです。人気コンテンツであるWBCの放映権料が前回と比べて跳ね上がったことで、日本のテレビ局には手が出せない金額になってしまった。Netflix、アメリカにあるグローバル企業で、世界中に多くの視聴者を持つこの会社が、放映権を買い取って放送することになったということです。
地球規模のリモコン争い
WBCを巡るNetflixと日本のテレビ局による一連の出来事を見て、ふと、このようなイメージが浮かんできました。
かつて一家に一台だったテレビ。何のチャンネルを見るかで家族が争い、見てもらうために放送する側は競争する。それが今は日本国内だけの話ではなく、グローバルで繰り広げられていると。全世界でテレビ、スマホ、パソコンの画面の奪い合い。島国で平和に暮らしてきた日本人、争いが嫌いな日本人であっても、至る所でもう無関係ではいられない、改めて痛感しました。

遠くの不幸
テレビ、パソコン、スマホで、世界中のリアルな映像が即座に大量に流れてくる時代。ただ量が多くなればなるほど、私たちはそれを選り好みし、自分に関係がないものは一瞬で切り捨てるというジレンマ。やがて刺激に慣れ、感覚も麻痺してくる。戦闘で家族が死んで泣き叫んでいるシーンを見ても、まるで映画のワンシーンを見るように。動画で見る世界がどこまでも他人事に思えてくる ―――

遠くの不幸(Distant Suffering)
社会学、メディア論で使われる言葉だそうです。
私たちは世界の悲劇を知っても、直接助けることは難しい。この時、悲劇は「救済の対象」ではなく「スペクタクル(見世物)」に変質してしまう危険性を孕んでいる。
といった内容で、今の情報大量消費社会で、以下の課題が指摘されています。
・哀れみの危機
多くの惨状が流され続けることで、感情が追いつかず、麻痺して何も感じなくなる
・共感の疲れ
絶え間ない悲劇を目の前に、心理的に疲弊して、共感する力が弱まり、やがて関心を失う
・皮肉な観客
苦しんでいる他者よりも、「それを悲しんでいる自分」の感情に注意が向く
今までは悲劇を他人事に思ってしまう自分に、少々の罪悪感を抱いていましたが、既に論じられていることでした。きっと私だけでなく多くの人が感じていることなのでしょう。あなたはどうですか?
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とまあ、今回のアメリカによるイラン攻撃、ショックが大きかった分、色々考えてしまいました。今回抱いた感情とは、今後も自問自答しながら付き合っていくことになりそうです。
ただ・・・
WBC、いよいよ開幕します(予選はもう始まってますね)せめて野球を見ている時だけでも、思う存分に楽しみましょう!
侍ジャパン!






