映画は見たことなくても、名前を知らない人はいないであろう人。ちょび髭に帽子、杖がトレードマークの「チャーリー・チャップリン」の言葉を紹介します。
珠玉の名言の数々
下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。
失敗は重要ではない。自分自身を馬鹿にするのはなかなか勇気がいる。
あなたが本当に笑うためには、あなたの痛みを取って、それで遊べるようにならなければならない。
いいかい、もし良いと思ったら、どうやろうかなどと決して心配するな。つまり直感だよ。
私は雨の中を歩くのが好きなんだ。そうすれば、誰にも泣いているところを見られなくて済む。
死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
意味を考えていたら始まらないよ。人生ってのは欲望さ。意味なんてどうでもいいじゃないか。
人生は、恐がりさえしなければ素晴らしいものになる。人生に必要なものは、勇気と想像力。それとほんの少しのお金だ。
いかにも喜劇王のチャップリンらしい、ユーモアと含蓄ある美しい名言の数々です。
どんな人?
チャップリンが活躍した時代の映画は、声がないサイレント映画で、しかも色もなく白黒です。私は映画をいくつか見ていますが、現在から見ると見栄えは段違いです。ただ単純な映像美ということではなく、キャラクター、ストーリー、見せ方などを最大限工夫していて、今見ても面白いです。
当時はナチスが台頭するなど激動の時代。教科書に出てくるような世界的な戦争の真っ只中です。そんな難しい状況にあっても、チャップリンは常に前向きな姿勢を崩さず、映画での表現を通して、世の中に笑いと、平和へのメッセージ届けることを貫き通しました。
父親はアルコール依存症、両親は離婚。母親は精神病を患った。極貧生活で孤児院を彷徨った子供時代から、一躍ハリウッドスターへと駆け上がったチャップリン。それでも庶民の心は失わずに、社会のあり方に強い憤りや悲しみを覚え、自分の舞台である映画での表現を止めることはしませんでした。

チャップリンと日本
彼の映画が発表されたのは1920~50年代。イギリス出身で、のちにアメリカに渡った彼。今を生きる日本人の私から見ると、時代的にも距離的にも遠い人。
ただ彼と日本との接点を調べてみると、知られざるエピソードがありました。
- 来日
チャップリンは、1932年(昭和7年)に初めて日本を訪れました。彼が世界一周をしている途中で神戸に到着し、京都、大阪、箱根、などを観光。当時の新聞でも大きく報道され、日本全体が歓迎ムードに包まれたそうです。その後も含め生涯で4回、日本を訪れたと記録があります。 - 五・一五事件
彼が来日した1932年、歴史的な事件が日本で起こってしまいました。経済不況と政治不信が高まる中、海軍の青年将校らがクーデターを起こし、当時の首相を暗殺した事件。犯行グループは、西洋人であるチャップリンも標的にし、来日歓迎会を襲撃する計画だったとか。ただチャップリンは相撲観戦へ予定変更して、難を逃れたそうです。 - テンプラ男
初めての来日で日本食を堪能した彼。その中で天ぷらを特に気に入り、「テンプラ男」というニックネームがつくまでだったとか。その他、日本の伝統文化である歌舞伎や文楽も観覧し、敬意を表しつつ深い愛着を持っていたそうです。 - 親日家
彼の秘書は日本人である高野虎市。当時は人種差別の意識が今よりかなり強かった時代。チャップリンは、高野の誠実な人柄を見て採用し、長年連れ添ったそう。後日発表したチャップリンの本の中では「日本人は皆、正直で親切だ。何をやるに際しても信頼できる」とも書いていたそうです。
最後にもう一つ名言を
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。






